書きたいことを書きたいように。

赤色が大好きです。備忘録です。

渋谷すばるのいない世界を迎えて(会見〜7月)

苦しい3ヶ月だったなあ
と思ったのは7月に突入した時。

ついに来てしまったなあ
と思ったのは7月14日を迎えた時。

本当に苦しいのはこれからなのか
と思ったのは7月23日のGR8EST名古屋公演を終えた時。




渋谷すばるがいなくなった世界 とは、実際彼がいなくなった訳ではもちろんないのだけど、関ジャニ∞を抜けて、彼の姿を容易に見ることができなくなった今は、すばるくんが私の世界からいなくなったも同然、という意味合いです





自担がグループを脱退するという経験は初めてでした。

彼の会見をアッコにおまかせ!で見たのは、就活のために実家に帰っていた期間だった。
たまたま説明会が一つも無くて、図書館でSPI対策かエントリーシート作成をしようと考えていたのだけど、

朝起きて準備をしてたら状況が変わった。お友だちとずっとラインをして、気を紛らわせながらその時を待ってた。

それまでの噂はなんと無く聞いていて、本人たちから否定の言葉を聞けるんだね、まさか、まさかね。そんなはずないよね。

だけど、そこに陳述されていた言葉は衝撃的で、にわかには信じられなくて、文字は読めてるはずなのに訳がわからなかった。どういうこと。どういうことなの。

アッコにおまかせで見た会見は、見てられない!という逃げの気持ちと、大好きなすばるくんの決意を見届けなければという気持ちがせめぎ合う中で、
心臓が常にドクドクと音を鳴らしながら見届けて。

会見の映像が終わった後、スタジオのタレントがああだこうだ言ってる時に姉が部屋に入ってきて驚いていた。姉が背中をさすってくれて、初めて涙が流れた。言葉を発せられないくらい嗚咽が止まらなかった。
自分一人では、現実かどうかも分からなくて、姉が同じ現実を知ったとき、ああ、これは夢ではないんだって気づいたのかもしれない。

3ヶ月って、3ヶ月って心の整理をつける時間もないじゃん。
ツアーに参加しないなんて、彼を送り出すステージもないの?
別れを知らされた時には、もうカウントダウンが始まってるなんて。

明日からどうしよう。
今まで就活のために作って毎日聴いてきた、「わたし頑張れ」プレイリストの中身は、すばるくんでいっぱいなのに。


会見後初のスバラジ。
ラジコのエリアフリーでいつも通り聴いた。
関ジャニ∞のメンバーやエイターへの愛で溢れていた。
そんなにも愛おしそうに話すなら、どうして自ら離れて行ってしまうの?

すばるくんから、自身の今後についてや、これからも自分を応援してほしいという言葉は聴けなかった。




それから、7月を迎えるまでの約3ヶ月間はとても苦しかった。
自分自身、人生の岐路とも言える就職活動をこなす日々で、精神が不安定だった事に加えて、そんな自分を支えてくれていた 渋谷すばる という存在が遠くに遠くに行ってしまう事が追い打ちをかけてきた。
それでも彼の声を聴くほかなかった。それが心の支えだったし、報道後のレギュラー番組も、今までと何一つ変わらなくて、永遠に7人一緒かと錯覚してしまうくらい 普通 だったから。
大きな口を開けてみんなと笑う彼を見て、本当に脱退するのか?と微笑ましく思うと同時に、これが続くのも7月14日までという揺るぎない事実も再確認してしまって、その度に心臓が握られたみたいに、不快な苦しさが押し寄せてきた。

ああ、この3ヶ月間はもう2度と経験したくないなあ。




関ジャニ∞を抜けて海外へ行き、遠い存在になるとは言っても、元々彼は身近な存在ではなかった。
そもそも、すばるくんは私にとってぽかぽかと暖かい太陽でも、そっと寄り添い静かに見守る月でもない。

私にとって彼は北極星だった。
強く強く光って、生きることへ導いてくれたし、
すばるくんが放つ、荒々しくて時に消えてしまいそうに不安定な、眩い光を必死に掴もうとして、ここまで追いかけて来れた。

すばるくんは優しく抱擁してくれたりしない。そっと歌声を届けてくれたりしない。
いつだって全身全霊で、不器用なくらいにストレートに、ぶん殴るかのように歌声を浴びせてくれる。
それでいて、ふっと消えそうなくらい儚い。

だから私を含めるす担は、歌声を必死に受け止めようとするし、必死に食らいつくし、彼を逃さないように大事に大事に扱う。


北極星を失ってしまったら、どうやって夜道を歩けばいいの?